ぼやきますか? -4ページ目

「パッチギ」

今年に入って見た映画第2弾!!井筒和幸監督の「パッチギ」です。


STORY
時はグループサウンズ全盛の1968年の京都。朝鮮学校と高校生の激しい抗争に巻き込まれてしまった康介は敵対する朝鮮学校の番長アンソンの妹キョンジャに恋をする。音楽室での演奏に心を奪われ、偶然知り合った坂崎に、その曲名とギターを教わりながら想いを募らせていく。あの曲の名は「イムジン河」朝鮮の人たちにとっては祖国が分断されてしまった事を嘆く悲しい歌だった。その曲は二人の恋をも分断してしまうのだろうか?国籍を超えた恋愛、悲劇的な境遇に半強制的に置かれている人々の生活、国籍が違うが故の争い、若者達の激しい思いを凝縮した作品である。

こちとら自腹じゃ!
という事で、観て参りました。まぁ、某番組を軽くパクってみましたが流してやってください。井筒監督の作品は今回初見となりますが、大体こんな映画を撮る監督だろうなぁ~というのは予想しておりましたが、もしかしたら、ここまで大掛かりな宣伝をして全国展開するんだから、きっと今までとは一味違った作品なのだろうと観る事にしたのでした。はい、ここまでは、おれの予想での話でした。
題材は素晴らしいと思います。過去の戦争などを通して、朝鮮人を強制的に日本に連れてきて、後は何の保障もしないよってな感じの日本政府のやり方、戦争というものは常にそうなのかもしれませんが、今尚日本人が憎まれ、また人によっては逆に朝鮮人を蔑んでる、それはこういった歴史的背景が根強く残っているからです。そのような国籍の違いなどでの争いが絶えなかった時代、国籍を超えた恋愛をする青年。果たしてその行く先は…となる訳ですが、うまくその設定が生かせてないような気がしてなりませんでした。結局喧嘩喧嘩喧嘩、クローズアップされるのは暴力ばかり、笑いどころは下ネタで…。そんな訳で、井筒監督はこういう作品を撮るだろうっていう、当方の予想通りの展開となってしまいまして、おれ的には面白かったよ!と人に勧める気にはなりませんでした。こういう映画が受けるのはやはり中年の男性のようですよ。ゲハゲハ下品な笑いが劇場にこだましてました。主人公の恋愛にもっと重きを置いていたらきっと違った映画になったと思います。井筒監督、人の作品けなす前に自分の作品をちゃんととろうよ…ボソッ

我が愛車

さよなら、我が愛車…。
そう、昨日高校2年の時から乗っていた愛車ゼファーχを手放す事になった。
別れはあっという間の出来事で、バイク買取業者に電話したところ、もう翌日には引き取りに来るという手際のよさ。別れがたいこんな時に限って、こういう業者はさっさとやってくるんだもんなぁ。まぁ一般的には仕事が速いということで良い会社なのだろうが…。

バイクってほら屋根が無いから、天候に左右されやすく寒い日ってどうも億劫になってしまって車に乗る機会がどうしても多くなってしまって、挙句の果てには車検も切れてしまって、もうにっちもさっちもいかなくなったので、売る事になったのでした。優柔不断なおれ、また物を大切にする性質のおれ、そんな訳で悩みましたよ~散々ね、数ヶ月は悩んだね。で、迷った末キッパリと売る事にしたのでした。

書類手続き関係は全部無料で引き受けてくれるという事で、30分ほどで引き取られて旅立ってゆきました。あぁ、我が愛車よ、あまりに寂しかったので最後にかっこよく撮ってやろうと思ってパシャリ。

またいつかバイクに乗るからなと心に決めたのでした。ちなみにワンポイントレッスン、バイク屋の話では、某カ○○キよりも某H○○DAの方が故障も少なく買い取りも高く買い取ってくれるそうですよ(コッソリ)

ジレンマ

「もう電話なんてしたくない」彼女は突然そんな事を言い出した。無理も無い
毎回電話すると言い合いになるのだから。結局のところ二人とも寂しかった、ただ寂しくて切なくて会いたくて、おれはせめて声だけでも聞きたいと願うし、彼女は上手く話せなくなる。この悪循環が原因だった。正確に言えば原因でありつづけている。

彼女はそんな時、電話をしても無視をする事が多々ある。おれはどんな時でも無視だけはしないでくれと約束をとりつけるが、それでもしばしば無視されることがあった。そんな時はいつも、一緒に乗り越えていこうよと説得する事となる。そして、いつもおれの方が妥協する事となる(尻に敷かれているのだろうか?うん、たぶん)正直に言って、もうダメかなと考えてしまった時もある。それでも、二人の想いは変わらずあり、おれも彼女もまたお互いを必要としているのは間違いない事実だったから、語り合い、抱きしめあって乗り越えてきた。

以前にも書いたが、喧嘩する事はお互いを理解しあう、ある意味チャンスなのだと、おれは考えている。それはおれ達二人にも例外なく当てはめる事が出来る。ただ問題なのが、気に入らない事や憎しみあって喧嘩しているのではないということだ。会えば傍から見れば目を背けたくなるほど(言い過ぎかも知れないが)仲が良い、後ろ髪が引かれて帰ることがなかなか出来ないほどだ。その分会えなくなると寂しさは恐ろしいほど激しい。普通の人は皆、我慢というものをしたり、他にやることがあって気を紛らわす事が出来るのだろう。無論おれ自身、そういった努力はしている。しかし彼女の方は寂しくなるとイライ
ラしたり上手く話せなくなる様なのだ、黙り込んでしまう。

そして、電話の話に戻ると、会えないからこそ、おれは声が聞きたくなる。少しでも長く声を聞いていたい。彼女はやはり沈み込んでしまう。お互いがイライラしてしまう状況へと加速していくのだ。逃れる手のない蟻地獄に二人は迷い込んでしまう事となる。

結局のところ電話しなければ良いのだろう。それでもやはり、こういった条件(借りにここでは「電話をすると」と設定する)は禁止であると、そこに封印をしてしまうのは、不安なのである。これは邪魔だから倉庫にでもしまっておこう、ふぅ、これで大丈夫、なんて言えたものではない。顔を背けていても、それは一つの弱点なのだ。これからもずっと一緒にいようなんて恥ずかしい事を言っている二人には弱点があってはならない、そう考えてしまう。

少しずつ少しずつ、二人の距離を縮めて歩んでいきたい。その時には、こんな悩みなくなっているのだろうと思う。

いなくなるということ。

友人の母が亡くなったとの連絡を受けた。
詳しい事は聞いていないのでどんな状況だかわからないが、突然朝にということだった。死とはなんだろう?大切な人、好きな人がいなくなるという事は、どんな気持ちなのだろう?生きることとは?疑問が次から次へ、頭の中のヒダの中から染み出すように溢れ出す。昨年は「世界の中心で愛を叫ぶ」という作品が騒がれた。本、映画、テレビドラマ。ジャンルを超えて社会現象となっていた。おれも少なからず社会現象へ足を踏み入れている。その時にも同じ疑問を考えていた。答えはまったくの無だ。それは想像の範疇を越えていた。おれ自身に身近な人を亡くしたという経験がなかったからだろう。また想像したくないという部分も少なからずある。
「大切な人を亡くすのはどうして辛いんだろう」
同じような台詞が、上記の本にも出て来る。これは誰にもはっきりとした答えを導く事は出来ないのかもしれない。亡き者への想いは、それぞれに違った思い出を持つものであり、また心への侵食具合も個人差があるに違いない。
結局のところ、気づくのがいなくなってしまった後では遅いのだ。だからこそ、大切だと思える人がいるのならば、普段から心をしっかりと通わせあうべきなのだ。大切だと思えること、そして大切だと気づいた事、それはとても幸運な事なのだから。

今年一本目!?『ネバーランド』

今年の一本目の映画は昨日観ることとなった。
ネバーランド
ジョニー・デップ主演で送る、ピーター・パン原作者ジェームズ・バリのお話。
ピーター・パンが生まれる背景を、一人の少年と、その家族との交流を通して
幻想的に描いています。
夢想家で純粋な心を持った劇作家と、心を閉ざした少年。物語を通して二人はかけがえの無い友人、家族となっていく。
最初に断言しておきます。おれはジョニー・デップが好きです。しかし、そういった贔屓目抜きにしても、ジョニー・デップの演技力は素晴らしい!!「シークレットウィンドウ」のだらけた作家でも、「パイレーツオブカリビアン」のなよなよした海賊でもなく、今回は「シザーハンズ」の時以来かと思えるほど、純粋で誠実な演技を披露してくれます。また、子役の子(フレディ・ハイモア「トゥーブラザーズ」)も子役とは思えない素晴らしい演技を見せてくれます。心を閉ざした少年を夢のあるお話や遊びを通して、癒し、そしてバリ自信も作家として大切な何かを見つける。素晴らしいお話でした。ピーター・パンにはモデルになった少年がいた…皆さんはご存知ですか?

時間…

引出しの中の雑多に飲まれるようにして存在していた携帯電話。新しく移り行く携帯電話の中で抜け殻のようにポトッと落ちていたものだ。死んでいる画面、もちろん電源など入るわけも無い。そっと充電器に差込み電源を入れる、画面はそっと息を吹き返す。しかしその中にも使っていた形跡は残っていない。よく確認すると、その中に写真が残っている。おもちゃのようなカメラを使ってせっせと保存を繰り返した写真たち、それだけが何故か必死にしがみつくようにして存在していたのだ。
おれは一つ一つ見返してみた。その頃の思い出がふっと蘇える。タンポポの綿毛が舞い上がるようにごく自然に。日付を確認すると、その流れた時間に戸惑いを覚えた。あの記憶していた日々から今までどのように過したのだろうか、わからない。一つ一つ考えていけば、あれをしたこれをしたと思い出せるのだが、時間接合点が見定められない、頭の中がジグソーパズルのように継ぎ接ぎだらけとなっているような錯覚を覚える。いや錯覚なのだろうか、その中の何ピースかが失われてしまっているそう思えた。時間と言うものは人生の中で長大で緩慢としたものと多々感じる事があったが、実に時間とは限られた鬼気迫るスピードで容赦なく我々を追い立てるものかと恐ろしささえ感じてしまう。写真には当時のままの風景画、ごく自然に存在している。失われていく時間を繋ぎとめていくには、こうしてその風景を無理やり閉じ込めることでしか可能ではない。大切な時間、これからも写真に収めつぎつぎと時間を自分のものとしていこう。おれはほんのささいな抵抗をしていこうと心に決めた。

きょうのできごと

今日は大雪と天気予報は告げていたが、朝起きてみると雨模様。
眠たい目こすりながら、暖かい布団から冷え冷えとした下界へと足を踏み出した。
今日は友人と下北沢まで買い物に出かける約束だった。準備を終え携帯を確認すると友人からの遅れるというメール。おれはかなり遅くなってしまった年賀状を書いた。彼女宛に書こうと残しておいたものだった。ちょうど書き終えた時に友人からついたとの連絡を受け待ち合わせ場所へ。空っぽのお腹を抱えいざ目的地へ。
土曜日だが、この天候のためか人もまばらな街並みに下らない話に花を咲かせながら店を見て回った。途中、気心の知れた店に顔を出ししばらくの時間を過したが、結局何も買わずに店を後にする。この街に来るのはずいぶんと久々になる、もう一年と数ヶ月は来ていなかっただろうか、どことなく懐かしく思える街。
結局何も買わずに家路に着いたが、こういう何気ない時間の費やし方は心癒されるものがある。そんな風に思えた、それはとても幸せな時間の使い方だった。気心の知れた友人と、特に目的もなくぶらぶらする、たったそれだけの事、ほんの少しの幸福感、大切にしたい時間です。

恋愛は難しい!?

男と女が存在し、そこに恋が生まれ愛に成長する。
そう言ってしまえば簡単だけれど、何かと難しい恋愛。「恋は駆け引き」なんて言葉はあるけど、一度はまってしまえば駆け引きなんて出来ないなんて人は多数なのではないでしょうか。
おれ自身、今まで失恋を過去にいくつもして、現在彼女がいますが喧嘩をしょっちゅうして、いつだって恋は難しいと感じています。「恋に公式は無い」うーん、そうなんだろうか、おれはないと思うな。世界中にはたくさんの人がいて、その中の何パーセントの人々が恋愛をしていて、皆が皆同じ考えをしているわけではなし、もし公式なんて作れるのなら一度拝見させていただきたいね、ふん!!
ってなわけで、今幸せな人たち、もしくは憧れている人がいる人たち、気まずい人たち、とくに恋していない人たち、皆さんに言えるのは、きっと「自分らしく」いてくださいって事だけです。偉そうな事いえるほど恋愛経験など無いですが、それぞれの人が自分らしくいる瞬間が一番輝いているし、それに惹かれる人がいると思うからです。世の中いろんな人がいるのです、変わった趣味をしていようが、興味を示してくれる人は必ずいるのだと、おれは思うな。少なくとも、おれの周りには変わったところに惹かれたりする人いるもんね。おれが言うんだから間違いない!(本当か?)いえ、本当です。

雪対策!?

今日も良い天気!しかし週末は雪の予想!?つい先日も雪が積もったけれど雪の中の車の運転、思った以上に恐いもんです。そんなわけで近くのタイヤ屋さんまで家の片隅に眠ってたスタッドレスタイヤを車に働き者の蟻の様にせっせと積んで行ってまいりました!ところがしかし!おれが店に着いた頃には20台の車がタイヤの交換待ちをしておりました。結局順番待ちとなり順番がきたら連絡がもらえることとなり、すたこらさっさと帰って来た訳です…。そんなわけでただいま連絡待ち中。

今年はどうなる!?

昨年は映画を40本映画館に足を運んで観ました。
期待はずれの作品、期待通りの作品、予想外に素晴らしい作品、いろいろと出会う事が出来ました。おれの中で映画とは、「その作品に登場人物の人生の追体験をする事により、自分自身がより大きく成長できる物」と定義しております。喜怒哀楽全てがそこに凝縮してあり、そこには人生の縮図(もしくは人生の断片)があります。素晴らしい作品に出会えたときは、心が洗われるような気持ち、激しい感動、すがすがしい気持ち、あらゆるものを得る事が出来ます。内容だけであるなら自宅にてVHSやDVDを観ればもっと安く感動は味わえるのですが、やはり劇場の臨場感は家庭では味わえないものがあります。ホームシアターなどと世間では騒がれていますが、あんなものおれから言わせてもらえば無意味です。なぜかって?それは劇場では一時停止できません。そう、自宅で見てるとついついちょっとした用事(電話や訪問者等)で一時停止してしまうのは避けられないからです。劇場で一度上映が始まれば最後まで席を立たない、それは半ば強制されたものです。おれにはそういった束縛が心地よかったりするんだよね。

今年は一体何本の映画を見るのか…素晴らしい作品に出会う事を期待してます